酒井根合戦場跡

現在は光ヶ丘地区となっていますが、このあたり一帯は「酒井根合戦場」といわれ、小塚が数十もありました。
写真は光ヶ丘団地造成前の古戦場跡です。


太田道灌と千葉孝胤が激しい決戦を交わし、無念にも戦死した者の霊を弔うため、戦いに勝った太田道灌が敵、味方の区別なく首、武具をより分けて首塚、胴塚、刀塚としたと伝えられています。

そのうち2つの塚が現存しています。

「酒井根」の地名は当時、相馬郡と葛飾郡の境だったことより元々は「境根」と呼ばれていました。

また、戦いに勝った太田道灌が酒井根薬師堂近くの井戸の水でのどを潤し、まるで酒のようにうまかったので、以後「酒井根」に変わったとの言い伝えもあります。

平成11年、光ヶ丘団地の立て替えに伴い千葉県文化財センターによる発掘調査が行われたときは、鎌倉時代(中世)、江戸時代(近世)と思われる道路遺構や陶器、板碑、銭貨が確認され、交通路あるいは墓地に利用された痕跡も見つかりました。